【ネタ】中二病宣言

 今日までのあらゆる表現の歴史は、中二病患者とそれを虐げる俗世間との闘争の歴史である。

 私はいま、情緒というものに取り付かれている。見るもの聴くものすべてに情緒を見出さずにはいられない。タクシーを使えば楽ちんに帰れる帰路でも、私は必ず徒歩を選ぶようにする。ゆっくりと歩きじっくりと雪景色を見ながら、情緒におぼれるのだ。
 私は雪の重さに枝を曲げ身長を低くしている木々のそれでも枝を伸ばそうとする意志に思わず涙する。帆柱を立て縄を張り雪の重みから木を支えそれを景色とした先人の知恵に思いを馳せる。剥げたおやじの銅像の頭の上に乗る雪を見てカツラだカツラだと騒ぐガキの笑顔を横目で見て微笑む。一面の雪に刺す朝日に、白い肌に紅が差した恋人の表情を重ね「美しい」とひとりごちるのである。
 恋人に思いを馳せていた私は「あの子さっきからぶつぶつと気色悪いわね」と囁くおばさんの声に気づき我に返った。私は、雪かきの手を止めこちらを見ている彼女のルーチンに悲劇を感じ、情緒なぞ生涯解せぬであろう彼女の俗な人生に同情し、やはり情緒を感じて涙するのである。

 情緒を感じている姿を見て中二病だと揶揄してくる連中がいるが彼らは何もわかっていない。情緒を感じることは崇高である。情緒を文章として芸術として表現することは崇高である。情緒を共感しあうことは崇高なのである。崇高だからこそ情緒を重んずる川端康成はいつまでも支持されつづけノーベル賞を受賞し世界に認められるのだ。物語自体はすんごくつまらないのに。
 中二病と文豪の違いは語彙の多さと使いこなす能力の違いだけであって、情緒に浸るという一点においてまったく同じなのである。否定すべきは感じた情緒をテンプレートを使って安易に表現してしまうことであり、語彙を増さぬことであり、より適切な表現をしようと努めないことだ。
 中二病だと揶揄されることを恐れて表現することを諦めてはいけない。中二病を否定してはいけない。中二病患者であった自らの過去を否定してはいけない。中二病と揶揄されて苛められ虐げられてきた中二病患者諸君は、今こそ立ち上がり、団結し、語彙を増やすことに尽力してほしい。世界にも認められる表現能力を身につけて欲しい。表現することを諦めず、いつか文豪となって欲しい。

 本質的に中二病患者はナイーブだ。繊細な感覚を持つ分、言葉に傷つきやすいのだ。しかし傷ついてばかりではいられない。先の文豪は皆、表現を何度も否定され、血反吐を吐き神経衰弱に陥りながらなお、表現することを諦めなかったのだ。中二病患者諸君が語彙を覚え表現能力を身につけ中二病を脱したときはじめて、情緒を感じることの真の価値を世界に知らしめることができ、俗世間を打倒することができるのである。
 情緒を解せぬ俗世間よ、中二病患者のまえにおののくがいい。中二病患者は革命において邪気眼のほか失うべきものを持たない。彼らが獲得するのはセカイである。
万国の中二病患者よ、団結せよ!