微睡みと覚醒のあいだ

 うとりうとりと微睡みかけて見たものは観音様であった。観音様と言っても多くの人が想像するであろう憂いのはらんだ細い目の所謂あの像ではなく、おれが見る観音様とは、憂いこそあれその目を敢えてカテゴライズするならばそれはタレ目で、黒髪は肩まで首は長く太ももは細く白く乳は小ぶりよろしく服装はクラシカルロリィタ系、その微笑は時に婆くさいと言われようも慈悲あるがゆえに興味を掴んで離さぬ愛嬌、タレントに例えると玉井詩織ホトケノザにちょこんと座るしおりんもとい観音様が言うことには、

 汝は酒を得すぎておる、
 御身が悲鳴をあげておる、
 これを控えて心身を、
 向かう意識を学問へ、
 ただ精進せい・ただ精進せい・ただ精進せい

 その法施は音韻心地よいラップ調であった。お経調と言うべきか。
 続けて「学問といえど国社数理英ではない、有り余るほどに本が並ぶ其方の本棚に目を向けなさい、得るべきモノは沢山あるはず」などと語るしおりんもとい観音様。なるほど無学なおれも積ん読だけは上級者、本棚のそのラインナップは漱石鴎外はじめ芥川太宰康成谷崎公房三島寺山司馬と人によっては名を見るだけで腰がふるえ瞳孔が開き涎が出ずにはいられない文豪ばかりであるにもかかわらず「この本は読み込んだ」と自信を持って言えるのはその6割にも満たない。このところめっきり読書を疎かにしすぎている。読み込めていないことに対する自責の念が罪責感へ、あるいは自らへの叱咤、またあるいは自己弁護といった感情へと昇華し、その感情がここ数日の酒乱体験への反省を伴い微睡みの中で観音様の慈悲となり現れたのではないかと解釈できるわけだ。折角の法施であるから素直に聞こう。

 頁を開くときの音がいっそう重みを増していく。

 こたつの上の赤いふたつの大小にはそれぞれ白い字で「SAKEPACK」、その字を見ておれはさらにとろんとさらに微睡む。白鶴「まる」は傑作中の傑作だ。冷やしてよし、ぬる燗よし、熱燗よし。舌の奥のほうが明確に米を感じている。この価格帯の日本酒で米の味が想像できるものはこれしかないと思っている。900mlのパックでは飽き足らずとうとう2000mlのパックを定期的に買うようになってしまった。ひとときはこだわってどこぞの高い酒を買ったものだが結局「まる」に戻ってきてしまった。赤い大小の左で帆に宝と書いた船に乗った七福神がこっちを見ている。いっそうめでたい気分。そんな気分の正月が終わってしまう。おれは近所のどんど焼きで貰った団子を砂糖醤油につけてむさぼりそれを「まる」で流し込む。正月気分をひきずり過去に思いを馳せる。

 祖父母の家に弟とふたりで泊まりに行くのが、かつての土曜の習慣だった。かつて、とは具体的に、おれが小学生だった頃のことだ。おれが住む家から祖父母の家までは1kmあまりの距離だった。その道のりをわざと遠回りしながら進むことで冒険に出るような高揚感を味わうことができた。泊まりにいったところで祖父母と言葉を多く交わすということもなかった。カバンから取り出したポケットゲームをした。不思議な高揚感に酔いながら夜更かしをするばかりであった。祖父母が夜更かしを叱ることは決してなかった。過去に祖父が一度だけおれに盆栽についてのあれこれを教えてくれたことがあった。空返事ばかりをしてゲームに没頭するおれに祖父はそれっきり何も教えてくれなくなってしまった。
 いつの間にかおれは大人になった。興味を四方八方に向けるような仕事に就いたおれは祖父の活動に対し非常な興味を持ちインタビューした。「盆栽のことを教えてくれ」。おれの目が肥えてきたとしか言いようがない。祖父の手がける盆栽の作品が素晴らしいと思って口から出した素直な言葉だった。大人になったおれに祖父は盆栽の種類から形の付け方切り方土の管理に至るまでをくまなく教えてくれた。目が乾きコンタクトレンズが落ちるほど目を見張った。植物という生きる相手に対する向き合い方の真理がそこにある気がした。そしてそういう心境になるほどに、祖父はおれに対して真剣だった。人と真剣に向き合うことの神髄とは、相手に興味を持つことだと知った。今は誰に対しても興味は尽きない。このように生き方が変わったのは、転職してからの話である。
 おれの興味の方向は四方八方に広がり続けるばかりで止めることができない。その興味はこれからもっともっと先鋭化させていきたいと思っている。おれは「社会起業家という生き方」に憧れている。社会起業家の興味の対象とは「いわゆる社会的弱者」だったり「いわゆる社会問題」だったりする。それゆえに彼らの活動は社会変革の可能性を有している。社会起業家のマインドの素晴らしさとは、こうした興味のある対象への真剣さ、そして興味の方向性だ。このまま興味を拡散させるなかで、いずれ「社会変革の可能性を有するような興味の向け方」ができる人間になりたい。

 だからこそ今はたくさん本を読めという観音様のお達しなのか。うとりうとりとしながら気がつけば夜中の3時。しおりんもとい観音様は手を振って消えていった。そういう考えでよかろうという意味なのか呆れて帰ってしまったのかおれにはわからない。お猪口に「まる」を注ぐ手も鈍くなって来た。また床に「まる」をこぼしてしまった。ぴちゃぴちゃとそれを弄びながらタイプするせいで自慢のMacBookProが酒臭くなってしまった。団子が底を尽きてしまった。もはやこれまで。観音様は帰ってこない。パソコンの中ではしおりんが笑っている。