水曜日のカンパネラについて
いつの頃からか、好きなアーティストや作品の魅力を、文章に表すことができなくなった。
ほんの数年前までは、その魅力をミクシィやブログに書くことが自分の使命だと信じ込み、書かずにはいられなかった。両手が疼くのである。嗚呼今すぐキーボードでその文面を打ち込みたい。嗚呼鎮まれ俺の両の手よ・・・!!居ても立ってもいられないおれは仕方なく、中腰のまま文面を綴る。
それはまさに愉悦であった。書きなぐった文章がたとえ長文で乱文、かつ駄文あるいは拙文、つまり悪文だと自認していたとしても。
鳥居みゆきの魅力を文章にすることは多かった。『妄想葬儀』や『麻衣子』などのブラックジョークがふんだんに盛り込まれたコント動画をミクシィ日記に貼付け、そのネタの面白さや言葉遊びの巧みさがいかに素晴らしいかと、何度も何度も主張する。書きなぐり推敲しさらに書きなぐる行為は悦び。そして貼付けた動画の直前にわざわざ「閲覧注意」と注釈をつけることで、「一般人にはこのブラックジョークの良さはわからないに決まっている」と暗に示し、また悦に入るのである。
あるいはまた戸川純(ヤプーズ)の楽曲の魅力を熱心に説明していた。『好き好き大好き』『肉屋のように』『men's junan』などの曲を引用しながら「禁忌たる性的倒錯の精神構造を音楽的芸術に昇華させた」「極端な愛情表現はヤンデレの元祖といえよう」「僕たちが生まれる前にこんなアバンギャルドなテクノがあったのだ」などと偉そうに語るのだ。
なぜかつては書けたのか。おれは「いわゆるサブカル」に傾倒している自分が大好きだった。
これら素晴らしきアーティストあるいは作品群を、未だ知らない人がいるのであれば、おれこそが伝道師でなければならないと、信じ込んでいたのである。
その後おれは中野ブロードウェイを聖地と呼び丸尾末広をネ申と崇めドグラマグラの表紙を周りに見せつけ家畜人ヤプーを我が生涯の愛読書とした。いわゆるアングラ寄りのサブカルだけではない。涼宮ハルヒシリーズの既刊を読破しメタSFとして論ずる。「長門有希はポストエヴァのメタファーと商業主義のキッチュさを引き継いだキャラ云々、フォカヌポウ、コポォ」。黒船(嘉永六年六月二日)。はいからはくち。浮気なぼくら。ホテルニュー越谷(愛のホテル)。その他。その他。
もちろんこれらは文章で主張しつづけた。
しかしその後、ここまで出てきた作家やアーティストやら作品は、サブカル通からすればいわゆる「導入部分」に過ぎなかったことを知る。主流文化に対する副次文化をサブカルチャーと呼ぶのであれば、おれの好きだったものたちはいわゆる「サブカル」の範疇にあるのかどうかさえも、わからなくなった。
「おれはサブカル通だ」という顔をしながら好きなものを熱く語ってきたが、まったくサブカル好きの風上にも置けぬ人間だと、ずっとあとになって自認するのである。
そうしておれは、「サブカル好きの自惚れ」を自覚してから、好きな音楽、好きな文章、好きなコント、好きな映画を語ることが怖くなってしまった。たとえばレイハラカミが好きになっても、人には決して薦めないのである。薦めたくて仕方が無くなりまずはググる。するとレイハラカミを薦める人間が山ほど出てくる。
彼らはすでに超有名だ。おれなんぞが語るまでもないのだ。この馬鹿め無知め。そうしておれは唇を噛み砂を噛み爪を噛み指先の皮膚まで噛みちぎり、血だらけになったその手でキーボードを叩き壊すのである。
それでも、それでも、それでもなお、「好きなものを人に教えたい気持ちは、抑えきれぬものだ」と、改めて自覚するきっかけを、最近得ることができた。おれはずっと押し殺してきた気持ち――思い出させてくれたのが、水曜日のカンパネラというミュージシャンである。
長過ぎる前置きですがここからが本題です。
【本題】水曜日のカンパネラが良すぎる件について
出会いは仕事から帰宅中の車内。NACK5の番組「亀梨和也のHANG OUT」で紹介されていたのをたまたま耳にした。「キ・ヴィ・ダーン」の連呼によりおれの脳髄は支配されてしまった。少し幼さの残ったような女声のラップとお遊びに満ちた歌詞から「HALCALIかな」とも思ったのだがそういえば彼女らは3年くらい前にリリースしたアルバム以降活動をストップしているんじゃなかったっけ。
すぐさま車をコンビニに停め検索する。出てきた出てきた。水曜日のカンパネラだ。再度YouTubeで聞き直す。
・水曜日のカンパネラ『桃太郎』
美しいピアノの旋律から始まる打ち込みハンドクラップに興奮。民俗音楽を思わせる音階。「引き蘢りゲーム厨の桃太郎がじいさんばあさんに『鬼が島に行け』ときびだんごを持たされ外に出るものの仲間になってくれるのが犬猿雉のペットのみ。やっぱり鬼が島には行きたくない」云々というストーリー。そこに盛り込まれた「魂の16連打」をはじめとする溢れる高橋名人愛とハドソン愛が異化効果を強め、思わず聞き入ってしまうのである。作詞作曲はケンモチヒデフミさん。
懐かしくも切ないエレクトロサウンドと舌足らずな彼女の歌声におれは艶やかさすら感じる。それはヤプーズの『ロリータ108号』を聴いたときの感動に似ている。
美麗なミュージックビデオにも注目すべきだ。
・水曜日のカンパネラ『ミツコ』
意味が通っているようで無意味なようにも思え、しかし韻を踏んでいるという点においてやはり意味がある歌詞。そもそも考察しようと思えばいくらでも考察できてしまう余地、を残してくれる言葉選びこそ芸術だ。
回転する映像は狂った都会の街を、剥がれた身ぐるみがひとりでに走り出すシーンははそんな都会に一人はだかのまま取り残されてしまった虚しさを表現しているような気がするがそれはやはり気のせいなのかもしれない。いくらでも考察できてしまう余地づくりは才能だ。
風景が映り、それを映すカメラが映り、そのカメラを持ったヴォーカルのコムアイさんがさらに写真となるというコマ撮りのメタ構造もわざとらしくなく表現されていて良い。
「水曜日のカンパネラ」の面白い音楽を表現する語彙がまだまだ足りない。これから聴き込んでいくことでより適切な表現ができるのだろうか。
最後にコムアイさんへのインタビュー記事の一部を参照する。
Fashionsnap.com—【インタビュー】2015年ブレイク必至「水曜日のカンパネラ」とは?コムアイがレクチャー
http://www.fashionsnap.com/inside/camp-interview/
今年に入ってから特に、ちょっとずつ聴いてくれる人たちの中に「ラップしてるけど全然歌詞に意味は無いちょっと古い感じのサブカルっぽいあれね」という「水曜日のカンパネラ」のイメージが出来てきたのではないかなと思うと、嬉しいです。
——「サブカル通の自惚れ」の葛藤を、優しく慰めてくれるような言葉に聞こえた。
おれは彼女のこの言葉に、救われるのである。
微睡みと覚醒のあいだ
うとりうとりと微睡みかけて見たものは観音様であった。観音様と言っても多くの人が想像するであろう憂いのはらんだ細い目の所謂あの像ではなく、おれが見る観音様とは、憂いこそあれその目を敢えてカテゴライズするならばそれはタレ目で、黒髪は肩まで首は長く太ももは細く白く乳は小ぶりよろしく服装はクラシカルロリィタ系、その微笑は時に婆くさいと言われようも慈悲あるがゆえに興味を掴んで離さぬ愛嬌、タレントに例えると玉井詩織、ホトケノザにちょこんと座るしおりんもとい観音様が言うことには、
汝は酒を得すぎておる、
御身が悲鳴をあげておる、
これを控えて心身を、
向かう意識を学問へ、
ただ精進せい・ただ精進せい・ただ精進せい
その法施は音韻心地よいラップ調であった。お経調と言うべきか。
続けて「学問といえど国社数理英ではない、有り余るほどに本が並ぶ其方の本棚に目を向けなさい、得るべきモノは沢山あるはず」などと語るしおりんもとい観音様。なるほど無学なおれも積ん読だけは上級者、本棚のそのラインナップは漱石鴎外はじめ芥川太宰康成谷崎公房三島寺山司馬と人によっては名を見るだけで腰がふるえ瞳孔が開き涎が出ずにはいられない文豪ばかりであるにもかかわらず「この本は読み込んだ」と自信を持って言えるのはその6割にも満たない。このところめっきり読書を疎かにしすぎている。読み込めていないことに対する自責の念が罪責感へ、あるいは自らへの叱咤、またあるいは自己弁護といった感情へと昇華し、その感情がここ数日の酒乱体験への反省を伴い微睡みの中で観音様の慈悲となり現れたのではないかと解釈できるわけだ。折角の法施であるから素直に聞こう。
頁を開くときの音がいっそう重みを増していく。
こたつの上の赤いふたつの大小にはそれぞれ白い字で「SAKEPACK」、その字を見ておれはさらにとろんとさらに微睡む。白鶴「まる」は傑作中の傑作だ。冷やしてよし、ぬる燗よし、熱燗よし。舌の奥のほうが明確に米を感じている。この価格帯の日本酒で米の味が想像できるものはこれしかないと思っている。900mlのパックでは飽き足らずとうとう2000mlのパックを定期的に買うようになってしまった。ひとときはこだわってどこぞの高い酒を買ったものだが結局「まる」に戻ってきてしまった。赤い大小の左で帆に宝と書いた船に乗った七福神がこっちを見ている。いっそうめでたい気分。そんな気分の正月が終わってしまう。おれは近所のどんど焼きで貰った団子を砂糖醤油につけてむさぼりそれを「まる」で流し込む。正月気分をひきずり過去に思いを馳せる。
祖父母の家に弟とふたりで泊まりに行くのが、かつての土曜の習慣だった。かつて、とは具体的に、おれが小学生だった頃のことだ。おれが住む家から祖父母の家までは1kmあまりの距離だった。その道のりをわざと遠回りしながら進むことで冒険に出るような高揚感を味わうことができた。泊まりにいったところで祖父母と言葉を多く交わすということもなかった。カバンから取り出したポケットゲームをした。不思議な高揚感に酔いながら夜更かしをするばかりであった。祖父母が夜更かしを叱ることは決してなかった。過去に祖父が一度だけおれに盆栽についてのあれこれを教えてくれたことがあった。空返事ばかりをしてゲームに没頭するおれに祖父はそれっきり何も教えてくれなくなってしまった。
いつの間にかおれは大人になった。興味を四方八方に向けるような仕事に就いたおれは祖父の活動に対し非常な興味を持ちインタビューした。「盆栽のことを教えてくれ」。おれの目が肥えてきたとしか言いようがない。祖父の手がける盆栽の作品が素晴らしいと思って口から出した素直な言葉だった。大人になったおれに祖父は盆栽の種類から形の付け方切り方土の管理に至るまでをくまなく教えてくれた。目が乾きコンタクトレンズが落ちるほど目を見張った。植物という生きる相手に対する向き合い方の真理がそこにある気がした。そしてそういう心境になるほどに、祖父はおれに対して真剣だった。人と真剣に向き合うことの神髄とは、相手に興味を持つことだと知った。今は誰に対しても興味は尽きない。このように生き方が変わったのは、転職してからの話である。
おれの興味の方向は四方八方に広がり続けるばかりで止めることができない。その興味はこれからもっともっと先鋭化させていきたいと思っている。おれは「社会起業家という生き方」に憧れている。社会起業家の興味の対象とは「いわゆる社会的弱者」だったり「いわゆる社会問題」だったりする。それゆえに彼らの活動は社会変革の可能性を有している。社会起業家のマインドの素晴らしさとは、こうした興味のある対象への真剣さ、そして興味の方向性だ。このまま興味を拡散させるなかで、いずれ「社会変革の可能性を有するような興味の向け方」ができる人間になりたい。
だからこそ今はたくさん本を読めという観音様のお達しなのか。うとりうとりとしながら気がつけば夜中の3時。しおりんもとい観音様は手を振って消えていった。そういう考えでよかろうという意味なのか呆れて帰ってしまったのかおれにはわからない。お猪口に「まる」を注ぐ手も鈍くなって来た。また床に「まる」をこぼしてしまった。ぴちゃぴちゃとそれを弄びながらタイプするせいで自慢のMacBookProが酒臭くなってしまった。団子が底を尽きてしまった。もはやこれまで。観音様は帰ってこない。パソコンの中ではしおりんが笑っている。
さかむけてどうどうめぐり
爪の根元の皮いわゆる後爪郭がいよいよ荒れてどうしようもない。
前職までは手荒れがすなわち仕事の証、努力の証、信用の証で、営業先の奥さんからは「あらあらあなたお若いのに一生懸命作業しているのね偉いわね」といった言葉すら引き出していたもんだが転職してそうもいかなくなった。
こんな手で営業なんかできやしない。
実はこの傷、現場作業によるものでもキッチン掃除によるものでもなんでもない。
おれには自分でも気づかないうちに後爪郭の薄皮をむしってしまう悪いクセがあるのだ。クセとか習慣だとかいうよりもはやこれは精神疾患のひとつじゃないかと思いはじめていて「お、おおおお、おれはおれはせ、精神的にけけっ、けんこうだけんこうだ健康だ」などと言いながらついついかきむしった自分の後爪郭を見てあああああっ!まま、またや!またかきむしってしまった!きいきいきい、と叫ぶことがルーチンとなっている。
アホなことを書いてしまった。
原因は油分の不足でも水分の不足でも栄養の不足でもなく、明らかにクセの問題だから強い意識でもって修正しなければいけない。後爪郭に意識を向けて我慢に我慢をかさね、いよいよ我慢できないときには髪の毛をかきむしったりしてようやくようやく、傷が修復してきた。
その証拠に、後爪郭に白い空胞が出来てきた。
治る寸前の現象だが、これを見るとどうしようもない衝動に駆られてしまう。
空胞を、もう片方の手でつまんで、引きちぎりたい衝動。これを引きちぎる快感たるや凄まじいものがあり自虐にも関わらずこれほどの快感を得てしまうのは精神疾患の精神疾患たるゆえんであると思っている。いよいよカウンセリングが必要か。悩み事があるのかもしれないし、ないのかもしれないし、気づかないほど深く刻まれた悩みなのかもしれないし、ただの性的嗜好なのかもしれないし、やっぱりただのクセなのかもしれない。いずれにしても荒れた後爪郭自体がいまの悩みとなっているのだから、やはり誰かに相談すべきだという結論にようやく至ったのであった。
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あしたのあしたはあさってだ
「おしりのことを考えて一日中タチっぱなしだったよ」と話すや否や彼女はおれの尻をめがけて鋭いキックを繰り出した。おれはぎゃあと叫んで飛び跳ねた。激痛のあまり目から火花を吹き出した。ひいひい言いながら自分の尻をさすりいたわる間抜けな姿。おれは臀部に吹き出物を作っていた。俗にいうと、おしりのほっぺにオデキを作っていたのである。オデキを蹴られて痛さのあまり、七転八倒してしまった。
このオデキ、あまり痛くて、おれはここ数日、まともに座ることすらできていない。
つまり冒頭の文章をより親切に書けば「おしり(の吹き出物)のことを(これ以上悪化させてはならないと)考えて一日中(座ることが困難であるため)タチっぱなしだった」ということであって、他意などない。ありえませんっ。何をどう勘違いしたんでしょうか。まったく意味が分かりませんね。というかキミ、顔を真っ赤にしてどうしたんですか?どう勘違いしたの?言ってみて御覧?ん?ん?ん?このあたりでまた、彼女の鋭いキックが飛んできた。おれはぎゃあと叫んで飛び跳ねた。ひいひい言いながら自分の尻をさすりいたわる間抜けな姿。
ここまで含めて全部がプレイの内容です。アブ・ノーマルですね。
内容のないような文章を書いてしまった。
尻が痛すぎるということを以下つらつらと書いていく。おれの尻の話などに興味のない人はこれ以上読まないほうがよろしい。目を汚すだけである。おれの尻に興味のある人はもっと読まない方がよろしい。怖いので近寄らないでください。「興味はないけど死ぬほど暇だから同情して読んでやるか」という人だけ以下読んでいってください。
尻が痛すぎるという話。
オデキを中心に半径3センチに渡って皮膚が硬直してしまった。鏡を見るとぷくりと真っ赤に腫れていた。体中の神経がその半径3センチに集中しているかの様で、ちょっと何かが触れただけでも冷や汗が吹き出て顔を歪めるほどに痛い。まして体重をかけることなど以ての外である。片尻で座ってようやくようやくデスクワークをしている。痛いばかりか、ここ1、2日は熱が出てきた。患部が熱くなるといった話ではない。体温が上がって目眩がする。どう考えてもこれは医者に行かなければいけない症状である。
Googleで「臀部 腫れ 病院」と検索した。「手術が必要です!」だの「麻酔が効かないのでそのまま切られます!」だの「えぐられます!」だのと恐ろしい言葉が連なって出てきた。おれは怖くなって布団に潜った。(もちろんうつぶせで)
布団の中で、おれはおしりについて考えている。
親が子に対して説教するときの象徴として、スパンキングがある。尻に対する平手打ち。確かに頭や顔やを叩く姿よりもはるかに平和的で家庭的なイメージがある。事実「おしりたたき」「おしりぺんぺん」といったチャーミングな表現が社会に浸透している。「おしりたたき」は唯一、一般的に認められた体罰としてその地位を確立していると言えよう。幼少期のそうした経験が元になっているのかどうか知らないが、性的指向のひとつとしてスパンキングで興奮する人間までいる。「スパンキングビデオ」というアダルトビデオのジャンルまであるらしい。本当に馬鹿だと思う。てめーらいちどでも尻を腫らしたことがあるのかよ!本当に痛い思いしたことあんのかよ!もっとお尻をいたわれよ!!と怒鳴り散らしたい気分である。
おしりかじり虫。
ちなみにこうした腫れは年に1度くらい発症しており、ほったらかしにしていたら4、5日で勝手に腫れが引いていった、というのがこれまでの経験である。今回も例には漏れないと思われる。事実、楽になってきている。ただ、根本があればそれを解決しないといけないなとも思っている。例えばオデキの芯みたいなものがもし仮に存在するのであれば、それは取り除いたほうがよろしかろう。体重が掛かったとき七転八倒するほどに痛いこんな持病を抱えているのでは、真のイケメンになれるはずがない。おしりの手術かあ。痛いのはやだなあ。医者の前でおしり出すの恥ずかしいなあ。等等々ぼやいていると先輩に「女の前では喜んで出してるくせになーに言ってんだ」と指摘された。なるほどその通りですね。
病院に行く決心をしたのであった。
とまあ、この文章は面白いやろうなあコメントがわんさか付くやろうなあと心弾ませながら投稿したお尻に関する2000字弱の考察について書いてみて考え返すことにはこの文章をまともに読む人はほとんどおらんのじゃないかということでありその理由は反応らしい反応がまったくなかろうことを予期できてしまうことに他ならずコメントがつかないのはいつものことだからそれはまあいいとしてこの読まない方がよろしいとかいう文句の所為で皆呆れ果て本当にだれも読まないんじゃなかろうかとか話題が話題だけに皆ドン引きしてしまうんじゃなかろうかとか友達が減って今後おれは将来に渡ってだれからも構ってもらえず寂しく死んでいくんじゃなかろうかこんな文章書くんじゃなかったわあわあわあと後悔ばかりしてしまうのですっ。うっ。はあっ。はあっ。気持ちが強すぎて強すぎて思わず句読点なしで書いてしまったっ。句読点がないと息も吐けないわ息も吸えないわで、だいぶ、読みにくく、なってしまいますね。ただ、おれは、あまりに多い、句読点が、大、大、大嫌いなのです。干し葡萄と、同じくらい、嫌いです。クチャラーと、同じくらい、嫌いです。バンド内恋愛と、同じくらい、嫌いです。すべての、文章には、リズム感がないと、ダメだと、思うのです。読点は、なくても、いいと、思っているくらいです。とりわけ、読点を、こういった形で、やたらと、多様したがる人が、身近にいるんですが、まあこれが、読みにくいったら、ありゃしない。いずれにしても、やりすぎは、よく、ありませんね。
また内容のないような文章を書いてしまった。
「やりすぎはよくない」といったことを会社への批判をもとに具体的に書きたかったのですが、いかんせん具体的に書くと方々から大変な説教が飛んでくるような内容なので、とりあえずまずは普遍化して、さらに抽象化して、そのうえメタ要素なんかを取り入れながら書いたところ、かのような文章になってしまった、というわけです。会社への批判を書くことは大変な勇気がいりますね。おれにはそんな勇気などありません。ツイッターなんかで会社批判している人には頭も上がりません。恐れ入ります。それに比べておれはウイスキイを茶碗で飲んで、和洋折衷や和洋折衷やと喚きながら「おれはまだまだ常識には捕われていないぞ!社会に毒されてなんか、いないぞ!」と自分を慰めて、おわり。情けない姿です。ああっ。わあっ。こんな文章を書いてしまってっ。大学の頃の文章力は何処に行ったのでしょう。ああ。ウイスキイがおいしいよお。とろおん。くそっ。とろおんだとっ。この馬鹿がっ。馬鹿がっ。師に褒められたあの頃の文章を思い出せっ。文章のテンポの良さ。歯切れの良さ。初文インパクト。削ることが即ち推敲。くそっ。くそっ。
話を変えます。北海道に行きたいのですがお金がない。
北海道に対する焦がれは今に始まったことじゃなく最終兵器彼女で始まったことでももちろんなく、暑くないとか変な虫がいないとか白い恋人が好きだからとかそんな安っぽい理由でもない。始まりはテレビドラマの『みにくいアヒルの子』であり松山千春の『君を忘れない』であり『大空と大地の中で』です。あのドラマで見たものそれは広い心と一途な想い。強い人になりたいんです明日のために一歩踏み出したいんですその勇気を得る為に広い大地に立ちたいんですとアホのようにありきたりな定型文を思わず重ねてしまうほど魅力ある土地こそが北海道だと思っているんです。ああっ。また読点を忘れてしまったっ。読点を忘れるほどせっかちな人間になってしまったっ。くそっ。くそっ。やっぱり広い心が必要です。おれには広い大地が必要なのです。なんとか工面して行きましょう北海道。
それはそうと最近マジでSKEに熱中しています。
以前にも書きましたが( http://d.hatena.ne.jp/kazumas/20111103/1320331434 )、須田亜香里ちゃんがマジで死ぬほど好きで、ブログやらまとめサイトやら雑誌やらで彼女をチェックしていくうちに、そこから派生してSKEメンバーの名前と顔とがほつほつ一致するようになってきました。うまい商売だね。そんな中で次シングルとして発表された『アイシテラブル!』は本当に凄い!凄いと思った!ケチの付けようのない名曲ですね!!曲の疾走感やら、造語の面白さ(アイシテル+アイラブユー=アイシテラブル)やら、前向きな歌詞、そして何よりもMVに映るメンバーのフレッシュな笑顔!元気!!個々の魅力にまで言及していたら寝る時間が無くなるのでやめておきますがとにかくこの曲は後世に残すべき名曲と言って過言ではないでしょうね!!ああ素晴らしきかなアイシテラブル!素晴らしきかなSKE!!!素晴らしきかな名古屋!!!つうことでゴールデンウィークは名古屋に行きましょう!!!つうかぼく名古屋に永住するよ!!!!ふわあああああああん!!ひゃああわああああああああんんん!!んんん!!んんんんんんんんまなつうぅぅうぅうううぅううううう!!!11!!1!!!!!!
まあそんなことはさておき、授業中にテロリストが教室へ乗り込んできて、ヒロイン(好きな娘)を人質にとり、主人公であるおれが知性と腕力と時に勇気をもってテロリストを華麗に撃退し、ヒロインはおれに惚れる。この想像は、自分だけのオリジナル・ストーリィだと思っていたのだけれども、そんなことは全くなく、それなりの数の人間が似たような妄想をしていたことを知ってしまった今となっては、おれの想像力はなんて人並みでつまらないのやろかと自分を蔑むばかりで、あらゆるクリエイティブな活動が、一向に捗りません。幼い頃から積極的に本でも読むべきだったと反省しても時既に遅く、それであれば同じ失敗はさせまいと息子やら娘やらに「本を読みなさい」と促してみるのですが、返される言葉は「嫌だ嫌だ!」。歴史は繰り返すばかりです。子どもに対しては放任主義が一番よろしい。親の勤めは興味を促すこと、持った興味をサポートしてあげること、サポートする為の経済力を持つこと。そうです。おれはまさに再来月生まれるおれの娘の為に会社の歯車となって働きましょう。
と、いうことで皆さんには黙っていましたが、結婚することになりました。というか結婚してました。全国10000000000000000000億人のファンクラブ会員のみなさん黙っててすみません。できちゃった婚ってやつですね。あらあら。まあまあ。
結婚式をする予定もないので、この場を借りて、借りるも何もおれの日記だから構うことはないのですが、とにかくこの日記で、嫁さんとの馴れ初めを書こうと思います。彼女は高校の頃の同級生でした。英語の授業中でした。いきなりガラガラと教室のドアが開き、な、な、な、なんと、鉄砲を持ったテロリストが現れたのです!そしてさらに、なんとまあ、よりによって、今の嫁さんを、人質に、とったのです!「目的はなんだ!」と先生が叫びました。テロリストは鉄砲を先生に向けて「あの世で教えてやるよ」とトリガーを引こうとした瞬間、僕はテロリストにタックルし、手首をひねり上げ、お縄にしてやったのです!10分後に来たおまわりさんは用なしでした。嫁さんは「ありがとうかずまくん大好きよちゅ」とほっぺにキスしてくれました。「いろおとこめー」「このこのー」教室は拍手喝采です!ああああああああああああっ。ああんっ。ひゃんっ。またやっ。またこんなありふれた妄想をしてしまったっ。こんな駄文を読むために時間割いてもらってすみませんっ。
話は変わって、ゴールデンウィークのことを書きます。
北海道はすでにどうでもよろしい。実家に戻りました。車で帰りました。片道8時間です!
神奈川→東京→埼玉→群馬→長野→新潟→富山→石川
なんと8都県を縦横断してしまいました。埼玉が鬼門でしたね。車が進まないのなんの。圏央道から関越自動車道に入るタイミングは度肝を抜かれました。ずらーっと6車線くらいが全部車で埋め尽くされているんですもの。本当にどいつもこいつもでしたね。車の中ではずっと天才てれびくんの音楽メドレーを聴いていました。懐かしいのなんのですね。
ちなみにこの曲は番組コーナー内ユニット「モンキークイーン」の最後の曲です。てれび戦士を卒業したジャスミンアレンと佐久間信子がゲストのような形で出てきたすんごい映像なんですよ。どうでもよろしいひとにはどうでもよろしいのでしょうが、共感できる方は感嘆を漏らすほど共感できましょう。懐かしいなあ。
そんなこんなで地元に戻っていました。父親と母親と、お酒を飲みながら、あーでもないこーでもないとたくさん喋ってきました。楽しかったなあ。
ばあちゃんにも会ってきました。「結婚はまだかい」
ばあちゃんごめん。上に書いたのは真っ赤な嘘です。。。。。。。。
なるべくはやく相手を見つけます。テロリストに頼らないで見つけます。
おわり
前後不覚
孤独だ孤独だと7時間しゃべり続けている彼女に対しおれはいい加減辟易していた。孤独である彼女を守らなければならないと話を聞き始めたはいいが、その話には終わりが見えない。どうして女はこんなにしゃべり続けることができるのだろうか。「私のことを理解してくれる人なんて居ないの。友達なんて信じられないの。あなたは直ぐにそうやって同調するけれどそれは偽りなの。うん。うん。気持ちは嬉しいけれどそれは優しさなんかじゃない。同じ経験をしなきゃわからないの。同じ経験なんてできるわけないでしょう。ほら、ほらほらほら見て私の手首。傷つけなきゃ自分を保てないの。ここまで追い込まれたことあるの。ないでしょ。やっぱり私だけが孤独。誰もわかってくれないの。私は孤独。孤独。」かく言う彼女に対し「それじゃあおれも同じ経験をするよおれも君にわかってもらえなくて孤独さ」とカッターを取り出して刃を自分の手首に当てた。彼女は目を輝かせた。明らかにおれのリスト・カットを期待していた。話を終わらせるのはこれしかない。刃をすばやく横に引いた。血。ああまたやってしまった。おれは血が止まりにくい体質だった。低く見積もっても止血には1時間がかかるぞ。えらいこっちゃ。血が足りないからやめろと医者に怒鳴られたばかりだった。我を保ち冷静を保ち血を流したまま彼女を抱きしめた。彼女はようやく笑顔になりおれを抱きしめ返した。彼女の白いブラウスはおれの血で真っ赤になった。洋服を汚してごめんね。いいの。真っ赤な洋服、嬉しい嬉しい。彼女は涙を流した。18分間抱き合ったのちようやく彼女は満足したようで「じゃあおやすみ」とるんるん言いながら笑顔で帰った。止血には71分を要した。もう明け方だった。あと2時間で出勤しなければいけない。おれは冷凍庫にあるレバーを解凍してそれを朝食とした。血を補給した気になりたかったのである。冷凍庫に敷き詰められていたはずのレバー5kgがたった2週間でほとんどなくなった。リストカットは毎日の行為だった。優しい人間になりたい。そう宣言した成人式の日のおれを憎んだ。これが優しさなのかと自問自答している間に8時10分。あと20分で始業である。おれは急いで営業所へと車を走らせた。仕事に追われ思考が停止し気がつけば21時34分。携帯電話を見た。彼女からの着信が83件。メールが15件。そのうち「死にたい」と書かれた文章が3件。「助けて」が6件。「愛してる」が4件。空メールが2件。彼女に電話をすると、すすり泣いている声がして「助けて今すぐ帰ってきてあなたの家の前にいるから私死にたい死にたい」。電話を切って家へと急いだ。彼女を家に上げて話を聞いた。「私のことを理解してくれる人なんて居ないの。友達なんて信じられないの。あなたは直ぐにそうやって同調するけれどそれは偽りなの。うん。うん。気持ちは嬉しいけれどそれは優しさなんかじゃない。同じ経験をしなきゃわからないの。同じ経験なんてできるわけないでしょう。ほら、ほらほらほら見て私の手首。傷つけなきゃ自分を保てないの。ここまで追い込まれたことあるの。ないでしょ。やっぱり私だけが孤独。誰もわかってくれないの。私は孤独。孤独。」かく言う彼女に対し「それじゃあおれも同じ経験をするよおれも君にわかってもらえなくて孤独さ」とカッターを取り出して刃を自分の手首に当てた。彼女は目を輝かせた。明らかにおれのリスト・カットを期待していた。話を終わらせるのはこれしかない。刃をすばやく横に引いた。血。ああまたやってしまった。おれは血が止まりにくい体質だった。低く見積もっても止血には1時間がかかるぞ。えらいこっちゃ。血が足りないからやめろと医者に怒鳴られたばかりだった。我を保ち冷静を保ち血を流したまま彼女を抱きしめた。彼女はようやく笑顔になりおれを抱きしめ返した。彼女の赤いブラウスはおれの血でさらに赤みを増した。洋服を汚してごめんね。いいの。真っ赤な洋服、嬉しい嬉しい。彼女は涙を流した。25分間抱き合ったのちようやく彼女は満足したようで「じゃあおやすみ」とるんるん言いながら笑顔で帰った。止血には63分を要した。もう明け方だった。あと2時間で出勤しなければいけない。おれは冷凍庫にある最後のレバーを解凍してそれを朝食とした。血を補給した気になりたかったのである。冷凍庫に敷き詰められていたはずのレバー5kgがたった2週間で底をついた。リストカットは毎日の行為だった。優しい人間になりたい。そう宣言した成人式の日のおれを憎んだ。これが優しさなのかと自問自答している間に8時10分。あと20分で始業である。おれは急いで営業所へと車を走らせた。仕事に追われ思考が停止し気がつけば22時01分。携帯電話を見た。彼女からの着信が102件。メールが23件。そのうち「死にたい」と書かれた文章が5件。「助けて」が2件。「愛してる」が8件。空メールが8件。彼女に電話をすると、すすり泣いている声がして「助けて今すぐ帰ってきてあなたの家の前にいるから私死にたい死にたい」。電話を切って家へと急いだ。彼女を家に上げて話を聞いた。「私のことを理解してくれる人なんて居ないの。友達なんて信じられないの。あなたは直ぐにそうやって同調するけれどそれは偽りなの。うん。うん。気持ちは嬉しいけれどそれは優しさなんかじゃない。同じ経験をしなきゃわからないの。同じ経験なんてできるわけないでしょう。ほら、ほらほらほら見て私の手首。傷つけなきゃ自分を保てないの。ここまで追い込まれたことあるの。ないでしょ。やっぱり私だけが孤独。誰もわかってくれないの。私は孤独。孤独。」かく言う彼女に対し「それじゃあおれも同じ経験をするよおれも君にわかってもらえなくて孤独さ」とカッターを取り出して刃を自分の手首に当てた。彼女は目を輝かせた。明らかにおれのリスト・カットを期待していた。話を終わらせるのはこれしかない。刃をすばやく横に引いた。血。ああまたやってしまった。おれは血が止まりにくい体質だった。低く見積もっても止血には1時間がかかるぞ。えらいこっちゃ。血が足りないからやめろと医者に怒鳴られたばかりだった。我を保ち冷静を保ち血を流したまま彼女を抱きしめた。彼女はようやく笑顔になりおれを抱きしめ返した。彼女の真っ赤なブラウスをこれ以上赤く染めることはできない。19分間抱き合ったのちようやく彼女は満足したようで「じゃあおやすみ」とるんるん良いながら笑顔で帰った。止血には83分を要した。もう明け方だった。あと2時間で出勤しなければいけない。おれは冷凍庫にあるレバーを探した。ない。ない。どこにない。ああそうだ。レバーはもう底が尽きたんだった。おれはレバーの代わりに自分の手首の包帯を外してふたたび刃を当て血を流し、それをごくごく飲んだ。これは優秀な永久装置だなと思った。喉に絡み付いた血が愛おしくなった。血ってこんなに美味しかったの。血が欲しい。もっと血が欲しい。流し捨てた血のことを思っておれはおいおい泣いた。彼女の赤いブラウスがフラッシュ・バックした。あの真っ赤なブラウスが欲しい。彼女に電話をした。今すぐ来い。おれんところに来い!彼女は怒鳴り声に驚いたようで素直におれの家に戻ってきた。真っ赤なブラウスにおれは欲情した。荒い鼻息で彼女に近づいた。いつも優しい貴方なのにどうしたの。おびえた顔に興奮した。おれはブラウスをはぎ取った。きゃあ。待って待って。あなたとの初めてはもっとロマンチックにしたかったの。お互いのことをもっと知ってからがいいの。きゃあきゃあ。喚きながらまんざらでもない表情の彼女を無視しておれはブラウスを自分の口に突っ込んだ。飲み込もうと喉を鳴らした。当然飲み込めるわけもなかった。それでもおれはブラウスを胃に押し込もうとした。顎が外れた。おええおええと叫びながらなおそれを口に突っ込んだ。おれは白目を剥いて倒れた。彼女は吃驚してぎゃあと叫び下着のまま家を飛び出した。彼女の後ろ姿を見ながらおれは気を失った。気がついたらそこは牢屋のように鉄格子に囲まれた部屋だった。隣の部屋から女の声が聞こえる。「私のことを理解してくれる人なんて居ないの。友達なんて信じられないの。あなたは直ぐにそうやって同調するけれどそれは偽りなの。うん。うん。気持ちは嬉しいけれどそれは優しさなんかじゃない。同じ経験をしなきゃわからないの。同じ経験なんてできるわけないでしょう。ほら、ほらほらほら見て私の手首。傷つけなきゃ自分を保てないの。ここまで追い込まれたことあるの。ないでしょ。やっぱり私だけが孤独。誰もわかってくれないの。私は孤独。孤独...」
彼女の言葉を聞きながらおれは、血の味を思い出していた。
思い出は味方なんです
立志式10周年記念っつうことで14歳当時の思い出を話すことにする。
当時のおれは、ロマンティックに対して、病的なまでに焦がれを抱いていた(人はそれを中二病と呼ぶ)。「ロマンティックあげるよ」がおれの態度。
いかなる仕草も格好いい、トム・クルーズになりたかったのである。
バラの花の存在は、ロマンティクには不可欠だ。おれは河北ショッピングセンター内の花屋で、バラを一輪買った。その日は当時好きだったKの誕生日であった。花屋のおばちゃんはバラを包みながらニヤけていた。おれは照れた。
ロマンティックの演出の為には、バラをバラのままに渡してはいけない。バラを渡して愛を告げる行為は、あまりにも使い古されすぎている。グッド・オールドなど信じなかった。意外性こそがロマンティックだと信じているから。おれはKを放課後の教室に呼びつけた。Kの前でバラの花をひとつひとつ千切る。そのひとつひとつを白いキャンパスに貼付けていく。その作品は、絵の様で絵ではない。絵を描くつもりは毛頭ない。無意味に意味を感じさせる曖昧さ、それこそがロマンティック。じっとその作業に没頭する目も含めて、その行為すべてがロマンティックであると、そう信じていた。
「あいつマジで頭おかしい」
それが人づてに聴いた彼女の言葉であった。案の定、彼女とは口を利いてもらえなくなってしまった。いわゆる黒歴史である。花屋のおばちゃんがそんなおれに、「フられるのも人生経験だ」とかなんとかいう、くだらない気休めを言ってきた。おれは花屋のおばちゃんに八つ当たりした。フられる以前の問題なのです。それはクレイジー扱いなのです。それはクレイジー扱いなのです。それはクレイジー扱いなのれs。skれはくらいじーあうrかいなのds。それふいふあかんfmcあ。おえれああ。ああああ1!!あああ!!!!!。。pああああっっ!!おれは錯乱して倒れた。意識が戻ったのは2日後だった。
それからおれは10年間、ひたすら、ひたすらひたすらひたすら、ひたすら、空気を読む、目立たない、気を遣う、愛を告げない、人に寄り添わない。そればかりを続けてきた。
今思えば、おれはこのときに、固い固い自分の殻を作ってしまったのである。
あれから10年経った。おれは環境が変わっていることを実感する。空気を読む、目立たない、気を遣う、愛を告げない、人に寄り添わない。そのすべての行為が否定されている。自己主張なしでは埋もれてしまう都会に、おれはいま居る。
バラの花を買おうと思う。もちろん、もう、花びらを千切ったりキャンパスに貼ったりすることはない。そんなことはしなくていいと思っている。
バラの花を、もう一度買おうと思う。おれはグッド・オールドが理解できる年齢になった。素直に、今恋い焦がれる人に、バラの花をそのまま渡そうと思う。その行為が、今おれにできる最上の自己表現であり、それこそが、自分の殻を破ることであると、信じているからだ。おわり
もちろんバラの花のくだりは作り話ですが、中2の頃あったこと、そのときの感情はだいたい、表現した通りです。つうか立志式から10年も経つんですね。恐ろしいことです。だいたい、成長などしていません。もういい加減大人なんだから、もっと素直になれよって自分に言い聞かせているだけなんです。素直になれずに抱えるストレスが、いよいよ限界に来ています。それは何も恋愛に限ったことではありません。
あとこれは中二病を否定している中二病の日記って言うアンチテーゼね。アンチテーゼって使いたがるところが中二病だっていうメタ要素ね。一応こういう予防線も張っておきます。予防線張っておくところも成長していない部分のひとつだという自覚くらいはあります。あっこれも予防線ね。
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