グッド・バイと人生

自らのmixi日記より転載。久々に文章を書くのが楽しかったので。



第1話 花火大会
 調布の駅で乗り換え列車を待っていると突然けたたましい爆音が鳴り始めたので、いよいよ戦争でも始まったかと浮き浮きした一瞬あとに自衛隊勤務の弟の顔を思い出して自らの破滅願望を自覚し反省し見上げるとやはり、夜空に花火が咲いていた。
 浴衣姿のギャルが喜声だか奇声だかわからん声を上げる。「ねえねえかずくん!ねえねえ花火だよねえねえねえ!」新品らしい橙色の浴衣は残念ながら左前で、ギャルの無知におれはたいへん同情し哀愁を感じ急に愛おしくなったので抱きしめてやったらかずくんにぶん殴られた。おれもかずくんなんだからしょうがなかろうという言い分を聞かずしてかずくんは躊躇なくかずくんをぶん殴りやがったのである。くそっ!
 花火大会。
 浴衣姿の恋人と花火大会に行くのが生来の夢だったが叶わずして今に至る。このまま人生を終えられないだの、いやいや巡り合わせがなかっただけだの、まだまだチャンスはあるだの、これまでなかったものが今後あるのかだのと、心の傷と頬の傷をさすりほつほつと破滅願望を醸成させながらおれはふらふらと列車に乗り込むのであった。逆方向の列車であることを知らずにです。これじゃあまりに気の毒。なんでこんなに人生は辛いのです?



第2話 マイブーム
 マイブームを紹介します。
 毎朝、AKB48の女の子と一緒に野菜ジュースを飲むんです。
 おれはAKB48の中からひとりセレクションしてお願いします。「今朝はゆきりん!君に決めた!ねえねえ一緒に野菜ジュース飲もうよ!」柏木由紀は喜んで応えます。「選んでくれてありがと(はあと)。いただきますっ(はあと)!」
 

 「わあい!いただきます!えへへ!おいしい!」唯一の至福の時間!今日の仕事へのモチベーション!なんでこんなに人生は楽しいのです!?



第3話 人生は辛いか楽しいか
 おれは日々を必死に生きています。それは「必死に生きる」という表現について必ず死ぬのか生きるのかどっちなんだこんな表現を使っていいんやろかと30分かけて考えるほどの必死さで、本当に不器用だと自覚しながらも、一日の最後には満足して寝られるわけですから、後悔はまったくないのです。
 こう必死だからこそ、辛いことを、人一倍辛く感じますし、一方で、楽しいことも、人一倍楽しく感じられるのではないかと思うのです。この感情の変化を、すべてひっくるめて楽しめるようになれば、人生はもっともっと楽しいのではなかろうかと思うのです。
 おれは必死で野菜ジュースのCMを見たいのです。ゆきりんと一緒に野菜ジュースを飲みたいのです。気違い呼ばわりされてもいい、気違い呼ばわりする人なんかよりも、ずっとずっと、人生を楽しんでいると確信していますから。



第4話 嘘と本当
 調布の駅でぶん殴られたのは嘘で、浴衣姿のギャルがいたことも嘘。野菜ジュースのくだりも嘘。気違いだと思います。
 日々必死なことは本当。
 東京事変の『透明人間』のようなひとになりたいんです。



第5話 グッド・バイ

さよならだけが人生ならば
ジュディマリの曲はなんだろう
「追い風たどれば雲流れ行く」 美しい唄なんだろう

さよならだけが人生ならば
ゆきりんの笑みはなんだろう
おれに向かって微笑みかけて 「明日も飲もうね」なんだろう

世界はあまりに美しすぎて 醜い自分があまりに惨め
さよならだけが人生ならば
ただ美しく別れよう    

作:kazumas(参考:寺山修司


唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、
私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。
まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、
別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても
過言ではあるまい。

太宰治『グッド・バイ』作者の言葉より


さよならは英訳するとグッド・バイ、
さよならだけが人生であれば、それは美しいものでありたいという願いが、
『グッド・バイ』に込められたのではないかと考えます。

人生は辛いか楽しいか。
美しいさよならができれば、おのずと答えが出るのではないか。

いい詩を教えてくれてありがとうございます。
この感謝の言葉が、あなたにとって美しいものでありますように。
おれはいまから、美しく死んでいきます。グッド・バイ。