ヒルクライム『春夏秋冬』に関する一考察
昨年はヒルクライム『春夏秋冬』が大ヒットしたそうで。
歌詞はこちら
http://www.utamap.com/showtop.php?surl=B36061
ちっ…こんなくだらん歌詞で売れるなんておれのほうがもっといい歌詞をだな…
なあんて思っちゃったりして思考停止していたのだがよくよく聴くとそんなことはない。
実は深すぎるくらい深い内容がここにはあるのだ。そうなのです深いのです。
まず私は以下の二つの歌詞に注目した。
> 全ての季節 お前とずっといたいよ 春夏秋冬
> 春の桜も夏の海も あなたと見たい あなたと居たい
メロで「お前」と歌われる一方、サビで「あなた」と歌われている。
違和感をぬぐえない人も多かろう。なぜわざわざ呼称に差異を生じさせたのであろうか。
私はここで以下の5つの仮説を立てた。
1.推敲ができていない
思いつきのまま歌詞を書いちゃった。自分の歌詞に妄信的な自信を持つヒルクライム氏は推敲もせず周りの人に披露しちゃった。さらに悪いことに周りの誰もが「あっそれいいー」などと思考停止した結果訂正される機会もなく世に出てしまいました。
2.レコーディング直前の歌詞変更
実はサビの歌詞も「お前」となっていたところ、レコーディングの様子を見に来た事務所あるいはレーベルの偉い人が収録当日になって「お前って歌詞偉そうじゃね?」と文句をつけた結果急遽変更が生じ、やはりメロの歌詞にまで遡って訂正する暇も余裕もなく収録するはめになった。
世に多く流れうるのはこのサビの部分だろう、なるほどサビは耳に残るキャッチーなメロディである。そう考えた事務所あるいはレーベルが、サビの部分のみに注目しメロを省みることなく直前に強引な変更を加えたのである。
3.語感がよろしいから
メロディと歌詞の語感は表裏一体の関係である。「全ての季節 あなたとずっといたいよ 春夏秋冬」「お前と見たい お前と居たい」とした場合いずれもメロディの美しさが損なわれると考えた。
4.歌詞中の登場人物の関係性に変化が生まれた
春も夏も秋も冬もどっかいこうぜなどとくどくど言っているが、要するに恋人に対して「これからもずっと一緒にいようね」というメッセージが込められている。また「教会の鐘が鳴るよ」という歌詞から、結婚式当日の歌であることが見て取れる。
季節を共に過ごす中で恋人への尊敬が生じた。あるいは結婚を前に、あらためて尊敬の気持ちをもって相手に接しようという意識が芽生えた。「お前」などと呼んでいた彼女に、これからは「あなた」として接していこう、という決意が込められている。
5.ふたつの主観が入り乱れている
「苦労ばっかかけたな」「いっぱい泣かせたな」「ごめんな」というやや偉そうな口調と「どこでも行ったね」「色んな所を知ったね」という相手に寄り添うような口調の2パターンがみられる。
私はここで、ふたつの主観、つまり男女の視点が混在しているのではないだろうかと推測した。偉そうな口調や「お前」と語る部分は男視点、寄り添うような口調や「あなた」と語る部分は女視点か。こうしてふたつの主観を切れ目なく混在させることで、男女の感情の重なりを表現しているのではないだろうか。
以下考察。
1、2はプロとしてあるまじき行為でありやはりありえないのでありえない。って何を言ってるんだおれは。
3に関して言えば、アクセントさえ変えればどうとでも聞こえよくすることはできる。「お前」「あなた」が歌われるのはいずれもラップ調の部分である。メロディ以上にアクセントの変化はつけやすいはずだ。
また5のようなここまで複雑な歌詞がわかりやすさ重視のJ-POP界で許されるわけもなくだいたいこういう主観の交差が許されるのは筒井康隆の文学だけである。(主観の交差のすごみを体験してみたい方は筒井康隆『邪眼鳥』の一読をお勧めします)「〜したな」「〜したね」という口調の変化は、相手に語りかける部分と記憶に思いを馳せる部分の違いから生じるものであろう。
ということで4が一番濃厚か。結婚は人生の一大転機である。当然のように一緒に過ごしてきた相手もこれからは人生のパートナー。一生大事にしよう、という決意がサビで特に語られており、あえてメロとは異なる「あなた」という歌詞を用いたのでありましょう。まあ素敵。こういう人と結婚したい。
いやはや深い。深すぎるぞヒルクライム。
一見わかりやすい歌詞の中にそっと潜むからくり。大ヒットする理由もよくわかる。
一流アーティストの偉大さとその道のりの果て無きを実感した良い機会であった。
ポリリズムとそれにまつわる私の哲学
ポリリズムとは和訳すると複合拍子といいまして、拍の一致しない複数のリズムで同時に演奏されることによって生まれる独特のリズムのことを指します。例えばPerfume『ポリリズム』の間奏部分では、基本となる4拍子の流れに「ポ・リ・リ・ズ・ム」という5つの音韻をそのまま5拍でのせ、ベースは3拍で、高域のシンセによるシーケンスで6拍を刻み、これらを繰り返すことにより面白みのある独特のリズムを作り出しているのです。
Nという女性と私はそれぞれ違うリズムで人生を歩んでおり、それぞれがそれぞれの節目を刻みながら別々の生活をしているのですが、そのそれぞれの節目が、妙なタイミングで、ぱたり、と綺麗に一致することが三度ありました。それは振り返ってみるとおぞましい、寒気がするほどの一致で、私は、彼女とのポリリズムを感じずにはいられないのです。
Nは小学校6年次に隣町の小学校へと転校していきました。おおむねの場合そこでNとの縁は途切れるはずなのですが、それから、腐れ縁という言葉がぴったりの再会を三度することになります。
中学2年次、市内の中学のJRC委員代表が集い合同で募金活動を行うという(めんどうな)イベントがあったのですが、それが彼女との最初の再会の機会でした。私はNを見てNだとすぐに認識し「君って転校していったNだよね」と話しかけたのですがNは私のことをすぐには認識できなかったらしくそれは当然。ハードな部活により20キロも痩せた私に対してNが発した再会の第一声が「ああ、君ずいぶん痩せたね」だったエピソードは彼女のデリカシーのない性格を端的に表していましょう。
時は流れ次に会ったのが大学受験の時です。彼女と同じ大学、同じ学部、同じ学科を受験し席が隣りあうということがありました。このとき声をかけてきたのはNのほうで私は彼女を認識できずそれも当然。彼女は昔の面影がないほど痩せており、ここで「ああ、君ずいぶん痩せたね」と発するほど私はデリカシーがないわけではなく「ああ、きれいになったね」と発するほどの甲斐性もやはり持ち合わせてはおらず「ああ、久しぶりだね元気だった?」と発するのが精一杯だったのは、彼女のぜい肉が落ち、目鼻立ちがくっきりとし、ずいぶんと美しくなっていたことが原因です。
3度目は大学に入ってから(結局Nとは別々の大学に通うことになった)、富良野への旅行中に立ち寄ったサークルKでのことでした。Nも旅行中で偶然そこに立ち寄ったそうでそれはまさに驚愕すべき戦慄の偶然でした。このときはお互いにすぐには認識できずそれもそのはず、この日本の果ての極寒の偏狭の地で再会することになろうとは一体誰が予測しえたでしょう。互いに疑念を持っていたのか、5回も目をあわせたのち、まったく同時に「もしかして君、」とユニゾンしたのはあらゆるボーイミーツガールの物語に劣らぬありきたりなシーンでしたので、もはや笑うしかありません、ふたりでケタケタと笑いあい、結局、富良野のサークルKで買ってきたのは、顰蹙だけでした。この3度目の再会の際、私はNの連絡先を知ることになります。
ポリリズムでは、それぞれ違う拍子を刻んでいても、公倍数的にそれぞれの拍のあたまでぴたりと一致するときが必ず来ます。Nとの関係は、こうした拍の一致を何度か繰り返された後に展開していく曲を聴くようで、つまり私はこういうポリリズムを用いた曲を書いてみたいということなのです。
畜生、こんな美しいボーイミーツガールあってたまるかってんだ!
ポリリズムを用いたオリジナルソングを書いています。
「DJソルト爆発しろ」に関する一考察
twitterを利用しているとたまに面白い現象に遭遇する。
そのひとつが、「まいんTL(タイムライン)」だ。
平日17時40分から放送されるNHK教育の番組、
『クッキングアイドル アイ!マイ!まいん!』という番組をご存知だろうか。
柊まいん『キッチンはマイステージ』
『クッキングアイドル アイ!マイ!まいん!』とは1991年〜2006年放送の『ひとりでできるもん!』、2006年〜2009年放送『味楽る!ミミカ』に続く「子供向け料理番組」としての位置づけにあるNHK製作作品だ。
作中では主人公の柊まいん(福原遥・11歳)が毎回工夫を凝らした料理を楽しく作り、たまに料理に関連した歌を歌ったり踊ったりしながら番組を進行する。
柊まいん演じる福原遥の整った容姿と抜群の演技力、11歳とは思えない高い歌唱力から、番組CDが9/29付オリコンデイリーチャートで初登場10位を記録するなど社会現象とも言える好評を博している。
番組CDを買いまくってオリコン10位にしたのは、いわゆる「大きなお友達」である。
その一定数いる大きなお友達が、『アイ!マイ!まいん!』を見ながら、「まいんちゃんは俺の嫁」「まいんちゃんの包丁で××されたい」「まいんちゃんの××を×××」「ふぅ・・・」などといった欲望を発言しまくるため、彼らをフォローするtwitterユーザーのタイムラインは「まいんちゃん」関連の乱れた発言ですっかり埋まってしまうのである。これがいわゆる「まいんTL」という現象の概要だ。
さてここからが本題である。
「まいんTL」において必ず見られるのが「DJソルト爆発しろ」という発言だ。
「DJソルト」とはお笑いコンビどーよ・テルが演じる司会進行役の男である。主にスタジオ内のDJブースに座り、まいんの発言に合いの手を入れたり、時間経過の報告やまいんの歌の紹介などを行う。
また彼は、時にまいんと肩を並べて視聴者からのおたより紹介コーナーを行うのだが、これが、大きなお友達にとって「大問題」なのである。
大きなお友達にとってまいんという存在は聖域である。汚れた成人男性が触れてはならぬ美しい存在なのである。また彼らにとってまいんは生涯絶対に触れられない存在であるため、進行役という立場を利用してたやすくまいんに近づくDJソルトに対して、殺意にも似た感情を抱いてしまうのだ。
twitterは公共の場である。殺意をそのまま表現しては犯行予告となってしまう。だから彼らは、DJソルトがまいんに近づいた際には必ず、「DJソルト爆発しろ」という言葉を用いる。自分自身が手を下すわけにいかないから、DJソルトに天罰が下ることをただただ祈るのである。
また彼らは「死ね」という言葉は決して使わない。まいんに近づいたからにはただキレイに死んではいけない、木っ端微塵になるべきだという持論がそこに展開されている。
とはいえDJソルトが番組中突然爆発するなんてことはありえず、当然ながらこれはシュールなネタとして受け取られる。発言者は、欲望をシュールなネタとして、また大げさに発言することで、ロリコンである自らを、やや自嘲気味に非難しているのである。
かくして様々な思いがこめられた形で「DJソルト爆発しろ」が今日もタイムラインを埋めるのであった。
日本は今日ものーてんきで美しい。
「純情恋愛板」を楽しむ
2ちゃんねるの「純情恋愛板」http://love6.2ch.net/pure/ が好きだ。
「純情恋愛板」を知ったのは、高校の頃である。
当時私は、好きで好きでたまらない女性がいた。
そして私は、彼女も私のことを好いているはずだ、という妄想に取り付かれていた。
「妄想」とは言ったものの、まったく根拠がなかったわけではない。
彼女から話しかけるような男子は、少なくとも学内には私しかいなかったし、
また私から彼女に話しかけたときには、彼女は顔を真っ赤にしてうつむくのである。
(まあこれらの記憶が妄想だという可能性もあるけどね。恋愛は怖いからね。)
若さってのは恐ろしい。
彼女の本名でweb検索するのは基本である。
学校祭や体育祭の次の日には「学校祭」「体育祭」という単語でブログ検索をしたり、
まあ要するに、彼女による情報発信を、必死になって探していたのである。怖いね。
そんなにある日に出会ったのが2ちゃんねるの「純情恋愛板」だ。
特に私は「好きな人にだけバレることを書くスレ」というスレッドを除くのである。
今現在も残るいわゆるパートスレだが、このスレッドに毎日張り付き、
私のことが書かれていないかどうか、ということをチェックしていたのである。
「好きな人にだけバレることを書くスレ」は1日に50〜100ほどの書き込みがある。
このスレッドではたまに悲しい現象が見られる。例えばこんな具合だ。
120 :名無しさんの初恋:2006/10/11(日) 22:54:14 id:EmaD8wsS
今日は目が合ったのにそらせちゃってごめん。
好きなのに避けちゃうわたしのばか。
125 :名無しさんの初恋:2006/10/11(日) 23:10:02 id:lerL5mkT
>>120
いいよ。大丈夫。わかってるから。
126 :名無しさんの初恋:2006/10/11(日) 23:12:02 id:EmaD8wsS
>>125
あの人は2ちゃんねるなんかしません。
勘違いさせてごめんね。
「好きな人にだけバレることを書くスレ」なのに、
>>120が「好きでもない人が勘違いするような書き込み」をしたせいで、
こうした痛々しい勘違いを引き起こすのである。
>>125がちょっと気の毒だ。これは>>120が悪い。絶対に悪い。
勘違いする心情はよくわかる。
この書き込みがあの娘であってほしいと願わずにいられないのが、
「純情恋愛」が「純情恋愛」である所以なのだ。
「純情恋愛板」は、痛々しい勘違いだと自覚しながら、それを楽しむための板でもある。
誰かが好きで好きでたまらない時には、覗いてみるといい。十分に楽しめるはずだ。
(ちなみに>>125はおれじゃないよ。ほんとうだよ。)
照沼ファリーザという芸術家
照沼ファリーザという芸術家(写真家)が興味深い。
知っている人は知っていると思うが彼女は大沢佑香という名前でAV女優をしている。
(※現在は名前を変え晶エリーという女優名で活躍中)
ちなみに彼女の女優名はたびたび男子学生の話題にのぼる。
皆一度はお世話になったことがあるのだろうな(笑)
(彼女の作品はハードすぎるがゆえにおれはそんなに好きではない)
彼女は作品を作る際、自分自身をモデルとしている。3脚を使って撮るのだそうだ。写真に写る彼女の表情から、なんとなくわかるのは、 モデル(自分自身)を「人形」のように扱っていること。時にフランス人形のようにかわいがり、時にフィギュアのようにして遊んでいるように見える。
彼女は自分自身の外見を、美しいと感じている。
それはメンズサイゾーで連載される、彼女のコラムから、読み取ることができる。
SMAPのうたで世界に1つだけの花っていうのがあってね。
人間は、1人1人特別なのに、お花は比べたりしないのに、どうしてNo.1とか比べたりするのか。
というような歌詞だったと思うんだけどね。
あれの歌詞を聞いてて乙女的にはちょっとちがうなと想ったんだけど、、
お花でも誰にも見られずに枯れたら悲しいし、花びらが自分は虫に食べられてて、他の花は食べられてなかったら悲しいかもしれないもん。
No.1に意味なんか無くてもね、オンリーワンなんてみんなマストで付いて来るんだから、
+αでナンバーワンなんて、なんかさらに特別ぽくて華やかで、、憧れるのはあたりまえのロマンだもん。
オンリーワンだからどんな花も素敵なんて、なんか閉鎖的で、ビンボーくさい考え方だなと、思ったんです.
結局ね、特別かどうかというのは自身の問題で、他者からみての特別なオンリーワンになるには、結局ナンバーワンになるしかないし。
乙女的には、
『君だけの可愛さがあるよね☆』
と言われるよりも、
『君は世界で一番かわいいね☆』
と言われた方がロマンチックでお好みなので、テンションがあがります。ということです。
自分の自信がいちばんとは思うけども、
ここぞ☆のお方にナンバーワン☆と思ってもらえる様に、
乙女を磨いて自信をつけたいなっとおもったしだいです☆
彼女は、豚の皮や吐瀉物、虫と共に写してなお美しい自分を、肯定するのだ。また誰にも真似できないその行為を行ってしまう、自らの精神性すらも、美しく感じているように見える。 だからこそ彼女の作品からは、肯定感があふれ出ている。
彼女の写真は、突き抜けて美しいのだ。
多くの人が知らない世界を生きる彼女の一言ひとことは、時に説教だ。
彼女は自らの職業を、立場を、美しさを、誰よりも肯定している。
自分を肯定できない人への気づきをもたらす。
『幸せになってね』とか
『一緒に幸せになろう☆』
なんて言葉を繰り出す人に対して、あたしは、イラッ、、とします◎
幸せというのを、なにか夢のように、あの世の事のように語る人のセンスが解らないし
(あたしは真面目に意味を考え過ぎなのやもしれんけど、、)
しわわせって、嬉しいとか、焦るとか、切ないとか忙しいとかそういう
感情てきな概念ではないの??
自分が、ああ、しあわせぇ☆とおもえる事を、幸せというんではないのかな。
(中略)
だから、『だいすきです〜ツラツラ〜いつか幸せになってほしいです。』
というようなメールをファンの方とかから頂いた時には、
単純に好意を、嬉しいとおもえばいいのかもしれないが、
今を生きている私に対して今が幸せじゃないだなんて。
随分と、失礼な奴だな.
このお方は、私のこと可哀想だと思っていたいのかな。
と怪訝におもうのであります。
幸せの木漏れ日 より
話す彼女も美しいですね。
- 作者: 照沼ファリーザ
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2011/12/15
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 188回
- この商品を含むブログを見る
- 作者: アトリエサード
- 出版社/メーカー: 書苑新社
- 発売日: 2011/10/31
- メディア: 単行本
- クリック: 18回
- この商品を含むブログを見る
- 作者: サタミシュウ
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/12/22
- メディア: 文庫
- 購入: 14人 クリック: 1,046回
- この商品を含むブログ (35件) を見る